「自分を認めよう」とするほど、苦しくなる理由
― 承認欲求から自由になる、たった30秒の習慣 ―

「もっと自分を認めましょう」
「人に認めてもらおうとせず、自分で自分を褒めましょう」
自己肯定感や自己承認について学ぶと、よくこんな言葉を聞きます。
もちろん、間違いではありません。
でも私は、ときどき思うのです。
自分を認めようと頑張ることが、逆に苦しさを生んでいる人もいるのではないか。
「今日の私は頑張った」
「これでいい」
「私は価値がある」
そう言い聞かせても、心のどこかから別の声が聞こえてくる。
「本当に?」
「本当に頑張ったの?」
「もっとできたんじゃない?」
するとまた、自分を認めようとする。
でも、なかなか安心できない。
これは、あなたの自己肯定感が低いからではありません。
もっと根本的なところに問題があります。
それは、
あなたが、自分の人生をずっと“評価”しているからです。
私たちは、いつも「採点」している
何かをした。
すると、すぐに考えます。
「うまくできただろうか」
「相手はどう思っただろう」
「嫌われていないだろうか」
「ちゃんと評価されたかな」
SNSに投稿すれば「いいね」が気になる。
LINEを送れば、返信が気になる。
一生懸命に仕事をすれば、誰かに気づいてほしくなる。
家族のために頑張れば、
「ありがとう」
の一言を期待してしまう。
でも、その言葉が返ってくるとは限りません。
褒められる日もある。
何も言われない日もある。
自分では大したことをしていないと思ったときに褒められ、一生懸命に頑張ったときほど誰にも気づいてもらえないこともあります。
人からの承認とは、とても不規則なのです。
だからこそ、私たちは気になってしまいます。
「今度こそ認めてもらえるかもしれない」
「次はわかってもらえるかもしれない」
そうして、相手の顔色を見ます。
反応を確認します。
何度もスマホを開きます。
会話が終わったあとも、
「あの言い方でよかったかな……」
と頭の中で繰り返します。
これは、あなたが弱いからではありません。
あなたの心が、長い間、
「次こそ安心できるかもしれない」
と待ち続けてきたからです。
「自分で自分を認める」だけでは終わらない
では、人から認めてもらうのをやめて、
自分で自分を認めればいいのでしょうか。
たしかに、それも大切です。
でも、ここにはひとつ落とし穴があります。
「私はよく頑張った」
と自分に言うことも、実は“評価”なのです。
つまり、
「私は十分だったのか?」
という裁判は続いている。
ただ、
裁判官が他人から自分に変わっただけなのです。
だから、
「自分を褒めなきゃ」
「自分を認めなきゃ」
「自己肯定感を高めなきゃ」
と頑張るほど、疲れてしまう人がいます。
本当に必要なのは、
もっと良い評価を自分に与えることではありません。
一度、評価そのものから降りることなのです。
「良かったか」ではなく、「どう感じたか」
たとえば、
一生懸命に作った料理が完成したとします。
その瞬間、
「家族は喜んでくれるかな」
と考える前に、
少しだけ立ち止まってみる。
湯気を見る。
香りを感じる。
「できたなあ」
と、その瞬間を味わう。
あるいは、
勇気を出して誰かに気持ちを伝えた。
そのあとすぐ、
「どう思われただろう」
と相手の反応を確認するのではなく、
まず30秒だけ、
「私は今、自分の気持ちを伝えたんだ」
と、その経験を味わってみる。
仕事を終えた。
部屋を片づけた。
散歩をした。
子どもの話を黙って聴けた。
言いたい言葉を飲み込めた。
今日はちゃんと起きられた。
どんなに小さなことでも構いません。
そのあと、すぐに評価しない。
「良かった」
とも言わなくていい。
「偉い」
とも言わなくていい。
ただ、
その経験が、自分の中に染み込むのを少し待つ。
これだけです。
大切なのは「30秒」ではなく「順番」
誰かに話してはいけない、ということではありません。
嬉しいことは、誰かに話していい。
褒めてもらってもいい。
SNSに投稿してもいい。
大切な人と喜びを分かち合うことは、とても素晴らしいことです。
問題は、
何をするかではなく、順番です。
まず、自分で味わう。
そのあとで、誰かと分かち合う。
まず、自分の中でその瞬間を完結させる。
そのあとで、誰かの反応を受け取る。
この順番になると、
「認めてもらわなければ、この出来事には価値がない」
という状態から、
「すでに私の中では大切な経験になっている。そのうえで誰かと分かち合いたい」
という状態に変わります。
同じ「人に話す」という行為でも、
心の中はまったく違います。
前者は、
足りないから求める。
後者は、
満ちたものを分かち合う。
のです。
あなたは、人生を味わう前に評価していないだろうか
私たちは、あまりにも早く次へ進みます。
何かを成し遂げた瞬間、
次の目標を見る。
誰かと楽しい時間を過ごした瞬間、
「また会えるかな」と未来を心配する。
幸せな時間の中にいるのに、
「いつか終わってしまう」
と不安になる。
子どもが少し元気になったら、
「明日は学校に行けるかな」
と次の結果を求める。
せっかく目の前にある小さな幸せを、
味わい終わる前に次の評価へ進んでしまうのです。
だから、心に何も残らない。
こんなに頑張っているのに満たされない。
こんなに幸せなことがあるのに、幸せを感じられない。
もしかすると、
幸せが足りないのではありません。
幸せを味わう時間が足りないのかもしれません。
不登校の子どもを持つお母さんにも、同じことが起きている
子どもが久しぶりに笑った。
少し会話が増えた。
一緒にご飯を食べた。
夜中ではなく、朝に起きてきた。
コンビニまで外に出た。
そんな小さな変化があったとき、
私たちはつい、
「このまま良くなるかな」
「次は学校に行けるかな」
「また元に戻らないかな」
と考えます。
でも、その前に。
ほんの少しだけ、
今、目の前にある変化を味わってください。
「今日は笑っていたな」
「一緒にご飯を食べられたな」
「この声を聞けてよかったな」
それでいいのです。
意味づけしなくていい。
将来につなげなくていい。
「回復のサインだ」
と評価する必要すらありません。
ただ、
今日の幸せを、今日のうちに受け取る。
私たちは未来を心配するあまり、
今ここにある幸せを受け取らずに通り過ぎてしまうことがあります。
それは、とてももったいないことです。
「正しく味わおう」としなくていい
ここでもうひとつ、大切なことがあります。
「ちゃんと味わわなきゃ」
と思わないことです。
「30秒できたかな」
「本当に心から味わえたかな」
「これで承認欲求はなくなるかな」
そう考え始めた瞬間、
また評価が始まります。
だから、うまくやろうとしなくていい。
ただ、少し止まる。
ひと呼吸する。
その瞬間にいる。
それだけです。
今日からできる、たったひとつの習慣
今日、何かひとつ終えたとき。
すぐにスマホを見ない。
すぐに誰かに報告しない。
すぐに「良かった」「悪かった」と決めない。
ほんの30秒、
その経験と一緒にいてください。
何も考えなくてもいい。
ただ、
「今、これが起きた」
と感じるだけでいい。
私たちは、
もっと自分を褒めなければならないのではありません。
もっと自分を評価しなければならないのでもありません。
もしかすると必要なのは、
自分の人生を、評価する前に味わうこと。
なのかもしれません。
あなたの人生は、
誰かに「いいね」と言われて完成するものではありません。
あなた自身がその瞬間を生き、感じ、味わったとき、
その経験はすでにあなたのものになっています。
だから、覚えておいてください。
人生は、認めてもらうものではありません。
味わうものなのです。