私が不登校だった頃

初めまして、菜花 俊(なばな さとし)です。

あなたがこの場所を訪れたという事は、お子さんのことで何か悩みがあるのだと思います。

そんなあなたと、あなたのお子さんのために、
私がこれまで7000組以上のご家庭を支援した経験から不登校解決に役立つヒントをお届けしたいと思います。

初回の今日は、私が子どもだった頃のお話から。

私が不登校だった頃

幼稚園の年長組・・・物心ついたころには、私はすでに不登校でした。

当時はまだ送迎バスなどなく、近くのバス停から路線バスに乗って、幼稚園まで通っていました。

私は幼稚園が大嫌いで(いつも孤独を感じていたような気がします)、なんとか幼稚園に行かずに済むようにと、仮病を使ったり、ダダをこねたりして母を困らせていました。

バス停の前には小さな小川があるのですが、自分の靴をその小川に投げ捨てた事もありました。

しかし、結局は無理矢理バスに乗せられて幼稚園に行く事になってしまうのですが。

母に背負われて

小学生になっても状況は変わらず、毎日母は悪戦苦闘だったようです。

小学校までは徒歩で20分くらいの距離を集団登校するのですが、

決まって朝起きられない私は、みんなから置いて行かれ、それでもダダをこねていると、

しまいに母は私を背負い小学校まで歩くのです。

そんな母を見かね、時折出勤途中の先生が私を車で送り届けてくれるのでした。

今、背中も丸くなり、

「ひざが痛くて思うように歩けない」

と言う母。

私を背負って歩いたせいだろうか・・・

ちょっと責任を感じます。

やれば出来る

そんな私ももう46才。

44才で結婚と、かなりの晩婚でしたが、すでに息子が3人いて、毎日にぎやかに暮らしています。

小さい頃から不登校で、大きくなってからも吃音や対人恐怖症に悩まされた私ですが、

そんな私の心の支えになってくれたのは、今は亡き祖母です。

祖母は毎日のように

「さとしはやれば出来る!」

そう言ってくれました。

当時、何一つ自慢できる事などなく、いつも孤独と自己嫌悪の中にあった私にとって、

祖母の言葉はたった一つの希望の光だったのです。

生涯の言葉を残そう!

私が今こうして、「不登校で悩む親子を支えたい!」と強く願うのは、

心のどこかに、私を支えてくれた祖母の気持ちに報いたいという想いがあるからかも知れません。

そんな私からあなたに送る最初のアドバイスは、

「生涯の言葉を残そう!」

です。

あなたも私の祖母のように、お子さんの心に生涯残り、お子さんを支え続ける言葉を贈られてはいかがですか?

「私には無理〜」
「難しそう〜」

そんな声が聞こえてきそうですが、こんな風に考えてみてください。

「私が今日も明日も明後日も、毎日言われたい言葉って何だろう?」

その言葉を毎日1回、出来れば2回、3回お子さんに掛けてあげてください。

お子さんの心にしみ込むまでには時間がかかるでしょう。

しかし、あなたが毎日心を込めてお子さんに贈った言葉は、

やがてお子さんの心に根付き、お子さんが辛い時、悲しい時、

お子さんを励まし導く希望の光になるでしょう。

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